2010.11.23 更新
1978年5月10日
校友会理事会の席上,野田精一理事から東京支部設置が提案され,それに従って郷司浩平校友会会長から野田,加藤義雄の両理事に設立準備委員指名の要請があり,次の16名が委嘱された。(敬称略ABC順)安藤善啓(S32,大経) 藤城富士雄(S12,専商) 羽坂勇司(S16,専商) 保坂栄一(S19,専文) 加藤義雄(S13,専商) 桃澤秀夫(S30,大経) 森廣成江(S3,高女) 村尾しづ(S2,高女) 永井 正(S12,専商) 野田精― (S5,専文) 岡田晃雄(S4,旧中) 高相利郎(T15,事商) 武永忠和(T9,旧中) 植竹繁雄(S28,大経) 臺正彦(大経,32) 山本良子(短国,28)
1978年7月28日
青山学院校友会東京支部(仮称)設立準備委員会 第1回委員会開催。次の諸氏が実行委員として選ばれた。
安藤善啓(前出) 後藤真男(S30,大経) 羽坂勇司(前出) 紀 幸子(S28,高) 桃澤秀夫(前出) 野田精一(前出) 佐藤英夫(S39,大法) 植竹繁雄(前出) 臺 正彦(前出) 渡辺多夫(S32,大経) 山口昭子(S23,専家) 安川睦子(S34,大文)
なお,具体案作成のため安藤,桃澤,植竹, 臺の4名による小委員会を結成。実行委員会はその後数回会合して構想を練り,その結果を設立準備委員会に提出した。
1978年7月30日
野田委員,校友会及び支部設置について大木院長と会談。
1978年10月25日
第2回設立準備委員会。桃澤委員から実行委員会での討議事項の内容について報告があり,それを叩き台とし,
(1)構成メンバー 500人程度
(2)事務所 暫定的に野田委員の会社に置く
(3)会費 2000円
(4)事業 総会,講演会等年4回程度開催
等が検討され, (l)(2)については概ね妥当とされた。(3)について岡田委員から,発起人・有志各位から5年間の会費に充当する金額を徴収し,発会当初の資金に当てたらとする提案がなされ,採択された。
また,会の名称について永井委員から,校友会との関係から,当支部がミニ校友会の役割を果す可能性が高いので, “中央支部”とした方が良いのではないかとの提案があり,全員の賛同を得て,青山学院校友会中央支部(仮称)と称することになった。なお,「中央支部(仮称)の設立について」と題する文書を広く配布することに決った。
1978年11月22日
第3回設立準備委員会
1979年1月
校友会理事及び評議員全員に「青山学院校友会中央支部(仮称)発起人依嘱のお願い」が設立準備委員会の名で出状され,幸いにも全員の賛同を得る。「設立趣意書」「会員獲得のお願い」の文書も作成され,ここに発起人会開催の準備が整った。
1979年1月29日
青山学院校友会中央支部(仮称)発起大会
発起人142名中72名の出席を得,加藤委員を議長に選出して「設立趣意書」(P 86掲載)及び会則(P 89)が審議され,採択された。引続き初年度の予算案が審議,採択され,更に野田氏を発起人代表に選び, 5月28日の設立総会に向け諸般の準備を進めることとなった。(発起人氏名P87掲載)
1979年3月5日
第4回設立準備委員会総会準備
1979年4月10日
第5回設立準備委員会総会準備
1979年5月10日
第6回設立準備委員会
5月9日現在の会員申込数430名。総会までに予定の500名を達成する見込み。総会出席申込者127名。
1979年5月28日
青山学院校友会中央支部(仮称)設立総会青学会館に207名の出席者を得,羽坂実行委員司会のもと,外崎恵子氏の前奏,鵜飼 勇牧師の司式の礼拝によって開会。野田発起人代表の設立に至る迄の経過報告に続き,会則及び初年度の予算案を審議,承認。次いで役員選出に移り満場一致で野田精一氏を初代支部長に,岡田晃雄 加藤義雄 村尾しづの3氏を副会長に推戴,幹事23名が選出され,承認を受け,また,大木院長・理事長,各学部長,校友会正副会長,都田,長田学校法人理事を顧間に仰ぐことも決定。(役員名簿P144に掲載)新支部長の就任挨拶,大木院長・理事長ならびに郷司校友会会長の祝辞の後,設立総会は滞りなく終了,ここに“中央支部”は目出度く呱々の声を上げ,成長への第一歩を踏み出したのであるが,ここ迄の過程を振りかえると,設立総会の就任挨拶で野田支部長が述べた“産みの楽しみ”なる新造語が,すべてを言いつくして妙,けだし名言であった。