2011.02.26 更新
かやと会とは、1939年(昭和14年)に発足された青山学院大学体育会ハイキング部のOB 会のことです。ハイキングで体育会と思われる方も多いでしょう。当時は世界恐慌(昭和2年)の後遺症に悩む世界でした。世情はきな臭い空気を孕みながら、一応の安定を楽しむことができました。
そのような中に1935年(昭和10年)立教大学にワンダーフォーゲル部が創立されました。
しかし、さかのぼること11年、1926年(大正15年)に青山学院大学に自然と山に親しむ若人のサークルとして、イギリスのアルピニズム精神を引き継ぐと言う気持ちを込めた「ハイキング部」が誕生しておりました。時代は大きく変化しており、1937年(昭和12年)には日中戦争が勃発しました。前年の1936年(昭和11年)にはドイツと日独防共協定を結んでいます。そのような中で昭和13年に、青山学院大学ハイキング部は慶応、早稲田、明治、立教、中央大学各ワンダーフォーゲル部と合同で全日本学生ワンダーフォーゲル連盟を結成し、活動の拡大を図りました。
しかし、世情は学生にいくばくかの軍事教練的な部活動を要望しても不思議はありません。戦時中には「ハイキング」という敵性語を使ってはならぬという、度量の狭い軍部の圧力で「徒歩部」に名称を変えたり、山岳部と併合され、「行軍山岳班」と名のりました。
「かやと会」は時代のあらぶる中、昭和14年に、ハイキング部OB会として誕生いたしました。
第2次大戦後の昭和23年に名称をもとの「ハイキング部」に戻し、新制大学のもと活動を再開いたしました。世情の安定に伴い部員数が100名以上になった時代もあります。幾多の変遷を経て現在は少数ではありますが、自然と自己との調和をモットーに活動しております。歴史をもったクラブそれが青学ハイキング部です。
「かやと」とは山の山腹南稜に広がる「かやの原」とあります。学生時代のような激しい登山ができなくなった年代のOBが集う、穏やかな広場であると想像していただければと思います。現在のかやと会は新制大学での卒部生が中心であり、初代会長は昭和27年度卒部、石原 勝さんが勤められ、現在は6代目塚瀬昌治さんが会長を務めております。
主な活動内容として、ハイキング部員の山行、部活動運営などの諸活動をサポートし同部の活動を支持しております。
また、OBハイクや記念山行などを催し、会員同士の親睦をはかっております。