青山学院校友会TOP
> 支部 >
岡山県支部
ホームページがリニューアルしました。
新ホームページは
https://www.alumni-aoyamagakuin.jp/okayama/
支部
岡山県支部
このサイトでは、岡山県支部の活動についてお知らせしています。
TOPページ
活動報告
活動予定
広報
イベント情報
わたしと青山学院
永瀬隆さんを顕彰
サイトマップ
TOPページ
>
わたしと青山学院
> シリーズ13 ~わたしと青山学院~ 村山 紀子 様
シリーズ13 ~わたしと青山学院~ 村山 紀子 様
2021.04.08 更新
「わたしと青山学院」
青山学院女子短期大学 家政学部 1962年卒 村山 紀子
私は1941年北海道旭川市生まれ、道立旭川西高等学校卒です。4人姉妹の末っ子で若干過保護に育てられました。両親は私に青山学院女子短期大学家政学部なら行ってもよいと言いました。東京の従妹の「嫁入り先が東京一良い」に影響されたらしいのです。入学試験には父が、入学式には母がついてきて「東京の男性には気を付けなさい。オオカミですから。」と口裏を合わせたように言いました。
女子寮に入ってすぐ2人の友だちができ、揃って長大の民族舞踊研究班(民研)に入りました。お昼休みにキャンパスロータリーの木の下で15分間だけフォークダンスをしたり歌ったりします。ある日、みんなでスケートリンクへ行きました。私は雪国育ちなので、お手の物です。先ず民研一のイケメンがへっぴり腰で近づいてきて「わあ〜!」といきなり私にしがみつきました。転ばずに済みましたがびっくり。「上手かねエ。ずっと、見とっとヨ。」との言い分でしたがオオカミではなかったようです。
(シオン寮の自室の窓磨き中の筆者)
(自室の前庭で)
秋の大学祭にはいろいろな大学から民研はよく招待されました。一方大阪大学からは青学へ出向いてきましたが「阪大はお芋ちゃんよ」と女子には人気がありませんでした。
幸か不幸か3人ともオオカミにさらわれずに無事卒業して故郷へ帰りました。2人の友人は結婚相手が決まり親孝行です。私は恩師の勧めで、外語学校の英語講師になりました。青学卒の履歴のお陰です。私にもお見合い話が舞い込んではきましたが失礼な言い方ですがビビっと来ません。悲嘆にくれていた私に大阪の叔母がお見合い相手を紹介してくれました。その人はあの芋大の「研究者」でした。「アメリカへ行く予定なので青山学院卒が役立つ」と決め台詞を言われて私は大阪人になりました。
1976年から2年間のアメリカでの生活は、子ども3人の言葉のハンデなど苦労がありましたが何もかもが新鮮でした。1982年に夫は岡山大からのお声がけで岡山に引っ越してきました。2002年に退官しましたが私たちにとって岡山は住み心地がよく今年で39年目の永住の地になりました。
世界中でたくさんの人々と出会い、今も交流が続いています。とかく昔話になりますが本日もZOOM MEETINGでアメリカのご夫婦とおしゃべりをしたところです。
ガーデニング、ピアノの練習やコミュニケーションの勉強などが私の趣味です。「青山学院」が私を幸せの道へと導いてくださったと感謝しています。
(卒業アルバムから
真ん中の写真の一番前)
村山 紀子 様 プロフィール
生年月日:1941年7月7日(北海道旭川市生)
1960年道立旭川西高等学校卒業
1962年青山学院短期大学家政学部卒業
1962年〜1964年旭川外語学校英語講師
1965年結婚 大阪府豊中市在住(夫;大阪大学歯学部助教授)
1976年〜1978年アメリカニューヨーク州バッファロー市在住
(夫;ニューヨーク州立大学バイオロジー研究所助教授)
1982年〜現在 岡山市在住(夫;岡山大学歯学部教授)
1983年〜2008年英語家庭教師
2000年Interactive Training in Communication -Japan
スピーチコンテスト英語の部で全国優勝 世界大会日本代表
2005年〜2009年青山学院女子短期大学中国支部長
(コミュニケーションの教育中の今の筆者様)