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シリーズ11 ~わたしと青山学院~ 高見 幸義様
2021.03.16 更新
「厚木哀歌(エレジー)」
「遠いねえ」。神奈川県厚木市北西の丘陵部にあった厚木キャンパス行きのバス。車内でだれかがこぼすと笑いが起こった。小田急線本厚木駅までたどりつくと、今度は黄色の車体のバス「カナチュー」(神奈川中央交通)に揺られて30分弱。雨の日は1時間近くかかったこともあった。車窓を流れる田んぼを見ながら、東北出身のクラスメートが「うちの田舎より田舎」と苦笑していた。
(1982年開学当時の厚木キャンパス全景。キャンパスの向こう、丹沢山地の手前は現在宅地開発されている)
1982年入学の私は、教養課程の2年間を厚木キャンパスで過ごした第1期生。岡山の田舎者で東京など行ったことがない私にとって、「厚木も東京も変わらないだろう」と高をくくっていた。華やかな青山キャンパスで入学式を終え、いざ通学するとそこは大自然。「東京の大学で思いっきり青春したい」という下心は見事に砕け散ってしまった。
(開学当時の正門付近。正面のA館(管理棟)へ続く銀杏並木は植えたばかりのころ)
最初の体育の授業は、未整備だったグラウンドの石拾い。丹沢山地から吹き下ろす「丹沢下ろし」で教室の窓ガラスが割れる。ヘビが出るのは当たり前。学食近くには野放しになった鶏たちが飼われていて、確か名前がヨハネとパウロ。「自然豊かな教育環境」の中で、2年間のサバイバルゲームはこうして始まったのだ。
それでも、生活の知恵はついてくるものだ。2年生になるころにはカリキュラムを工夫して通学の曜日を絞ったり、本厚木駅でタクシーに乗り合わせたり。比較的近い小田急相模原駅付近に下宿していた私の部屋は、クラスやサークル仲間のたまり場になった。徹マン(死後?)したり、つかみどころのない将来の夢を語り合ったりして何度も夜を明かしたものだ。
(厚木キャンパスで。フランス文学科のクラスメートと(筆者は右端)=1982年)
今は相模原市のJR横浜線沿線にキャンパスが移転し、厚木キャンパスはもうない。跡地は民間の研究所として活用されているそうだ。それでも、学生時代の思い出と聞かれると、3、4年生で通った青山キャンパスよりも厚木キャンパスを先に思い浮かべてしまう。それだけ、あのころの体験が強烈だったのだろう。
学生時代は「厚木哀歌(エレジー)だね」なんて冗談めかして言っていたが、今となっては懐かしい思い出だ。今でも年賀状のやりとりをしている親友たちとともに恵まれた青春を過ごさせてもらった。「厚木謳歌」とでも言い直そうか。
(職場のデジタル編集センターで)
<高見 幸義様プロフィール>
1986年 青山学院大学文学部フランス文学科卒
岡山県玉野市出身、県立玉野高校卒。
大学卒業後、山陽新聞社に入社。
政治部、東京支社、倉敷本社などを経て
現在は編集局デジタル編集センター長。
開学からしばらくして、緑が多くなって来たころの厚木キャンパス
ウェスレー・チャペルと使徒ヨハネ像(厚木キャンパス)
ウェスレー・チャペル内ステンドグラス(厚木キャンパス)
ウェスレー・チャペル(厚木キャンパス)
秋の厚木キャンパス