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シリーズ10 ~わたしと青山学院~ 山下 陽子様
2021.03.05 更新
白樺林の「白馬ヒュッテ」
吹き抜けには大きなストーブがあり、夜になるとその回りで炉端談義が始まります。明日のトレインの募集をする者、翌日の献立を相談する者、「そばやそばや♪」歌いながら踊る者、スキー板のチューニングに余念のない者。ラジオから流れる「ヒーロー」と、白樺林にしんしんと降り積もる雪が作り出す不思議な親密さが、雪焼けした顔の若者たちを繋いでいました。
HPによると、青学白馬ヒュッテ運営委員会は今も健在のようです。多分当時も委員さんが当番決めや買い出しを担ってくれていたと思うのですが、何しろ宿代が一泊三食付き千円という破格値で、下宿にいるより安上がり。私を含め1ヶ月以上長逗留する若者もおり、誰が委員かゲストかは定かでない感じでした。また他大学の学生もOKで、ルールさえ守れば干渉し合わない、あっさりした付き合い方が私にはとても新鮮でした。
破格値だけあって、食材は基本ジャガイモと人参と玉葱、それに大量の野沢菜と米のみ。それを当番の時には色々と知恵を絞り目先を変えて、コロッケにしたり、きんぴらを作ったりと10数人分の食事作りは、それはそれで結構楽しいものでした。
当時学内ではサザンの桑田佳祐さんや厚底靴の似合う原田真二さんなどが闊歩していた時代。同じ田中ゼミの名取裕子さんが朝ドラデビュー、同級生がカネボウのポスターに抜擢されるなど、県北津山で育った田舎娘には驚きの連続でした。附属出身者の多さも相まって、だんだん居心地の悪さを感じ始め、授業にも興味が持てず、辞めて岡山へ帰ろうかと真剣に悩んでいた頃、食堂で見たポスターが「来たれ白馬ヒュッテへ」でした。
「来たれ」に呼ばれるが如く、スキー三昧の暮らしが始まりました。特急あずさ、急行アルプスは高かったので、いつも新宿駅深夜出発、早朝塩尻駅到着の普通電車に乗り込みました。各駅停車のため、大月あたりからはだんだん通勤・通学の人が乗り降りし始め、駅毎にドアが開いて寒いことこの上なしです。
塩尻では当地の歯科大に通う幼なじみが待ち受けてくれ、彼女の寮に一泊、翌日一緒に白馬大池駅を目指します。この友人がスキー大回転の達人で、私の師匠でした。まるで恋人に逢いに行くように、休み毎に塩尻通い、栂池通いをしたものです。
きっかけとは不思議なもので、白馬ヒュッテに通うようになってから大学生活も落ち着き、授業にも身が入り、おかげさまで何とか4年で卒業できました。
美しい白樺林とともに時折思い出す白馬ヒュッテ。そう言えば、「鐘が鳴る丘」に芋の子を洗うが如くいた女子大生スキーヤーたちは今いずこ…。
写真キャプション
1、 現在の白馬ヒュッテ(長野県小谷村)
これまで何度かリフォームや改修工事はしていますが、
基本は1970年代のままの作りで、現在もほとんど変わっていない山荘です。今も青学の学生が自主運営をしています。
懐かしい方も多いのではないでしょうか?
2 大原總一郎ゆかりのブックカフェで筆者近影
2 くらしき未来K塾(毎月開催)にて講師を務める筆者
3 「降りそそぐ言葉」代々の大原家当主による
4 大原家玄関(寛政7年・1796年着工)と語らい座ロゴ
山下陽子様 プロフィール
岡山県立津山高等学校卒
1979年 青山学院大学文学部卒
2010年〜 県立落合高等学校長
2011年〜
高校再編整備により
県立真庭高等学校初代校長兼落合・久世高等学校長
2012年〜2017年 県立倉敷南高等学校長
「21世紀型能力」を核にした地域課題解決型教育の実践により、
2015年文部科学大臣表彰、
2016年岡山県特別功労者表彰を受ける。
2017年〜2019年 国立大学法人岡山大学教師教育開発センター特任教授
2018年〜 語らい座大原本邸
(国指定重要文化財旧大原家住宅2018.4.1開館)
館長
現在は、大原本邸をプラットフォームに「くらしき未来K塾」を立ち上げ、地域と学校による包括的教育改革を実践している。