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シリーズ27 ~わたしと青山学院~ 兼信 英雄様(1970年経営学部卒業)
2021.08.27 更新
「青学の思い出」
令和3年8月12日
1970年経営学部卒業 兼信 英雄
松たか子のナレーション「この世界の果てしなさを、てくてく、こつこつ、ちっちゃい自分で測っていく、なんだか、とても自由だ」で始まる、NHK番組「おーい 日本」。場所は四国、足摺岬の真稔庵、そこに登場する遍路が私です。遍路途中 偶然の取材にあった。真稔は江戸時代の人で「四国遍路指南」というガイドブックのようなものを発刊したり、遍路さんに安い宿を提供したりして今日のような遍路文化を世に広めた人である。一生懸命に真稔庵に向かい、般若心経をとなえている画像が映っている。平成14年10月から53日間かけて1200kmを回りました。
(テレビ「おーい日本」出演の筆者)
◆「女性の作家が来ているので、遍路さん来てください。」と村人が呼びに来たので行ってみると、ピンクのワンピース姿の作家高村薫さん、場所は66番札所、雲辺寺からの遍路転がしと呼ばれる急斜面を降りたあたり、「遍路途中にある無縁仏について、どう感じましたか」の質問に「遍路道、特に急な下り坂などで何度も転びそうになったが不思議と転びませんでした。無縁仏に守られていると感じました」と答えました。そのことが高村薫著「空海」に書かれています。江戸時代の頃は身体に何らかの障害、精神的な苦悩を抱えている人が決死の覚悟で遍路に来て、途中で多くの人がなくなっている。遍路道のわきに無縁仏としてまつられている。
◆コバルトブルーの東シナ海を背景に白い灯台が見えます。あたり一面白いユリとピンクのヒルガオが美しく咲いています。その中をゆっくり進んでいきます。まったく音も聞こえない世界。これが「胡蝶の夢」かと思える世界である。
人間極限状態になると不思議な経験をすると言われます。スイム3km、自転車155km、マラソン42.195km、宮古島トライアスロン大会、東平安名崎当たりの風景である。ランニング35kmを過ぎるあたり、12時間以上走り続けていると、精も魂 も尽き果てて一歩も走れなくなる。あとゴールまで7kmちょっと、1km、1キロ 一歩一歩、中々距離が縮まらない、時間がたてば距離が縮まると思っても今度は時間が経過しない。時空がわからなくなる極限状態となる。4歳ぐらいの女の子が一杯の水を持ってきてくれました。その一杯の水がなんと嬉しかったことか。
◆平成15年「青学箱根マラソン優勝」に飛び上がるほど喜びました。私の学生の頃、野球は時々、東都リーグ優勝していましたが、箱根マラソンには出場すらできない時代でした。
祝勝会に招待され参加させていただきました。出席者もあまり多くなく、選手、監督とも自由に話の出来る雰囲気でした。神野君と話しました。「僕の次は一色君です。」一色君を紹介してくれました。彼らには全くおごりのようなものを感じない素直な学生たちでした。会場からの帰り道、爽やかな風が吹いていました。
(箱根マラソン優勝の神野君と)
青学の思い出といえば、2号館3階の40人ほどの教室、語学英語の時間、雨宮という熱心な先生がいました。すぐ学生に質問、発表させるので、ヒヤヒヤしていました。モームの文章に悩まされたこと、窓から見えた風景、色づき始めた銀杏並木が鮮明によみがえります。キャンパスの椅子に座って思わず手を大きく伸ばしたくなる雰囲気を、51年たった今も、良きおもいでとしても覚えています。
兼信 英雄 様 プロフィール
1946年 7月15日生まれ
1970年 青山学院大学 経営学部卒業
1971年 太陽電機工業株式会社 入社
1985年 太陽電機工業株式会社 代表取締役に就任
1997年 玉島商工会議所常議委員
1998年 NPO溜川を美しい川にする会 理事長に就任
2014年 中国経済産業局長表彰 受彰
2018年 国立大学法人岡山大学環境理工学部非常勤講師に就任
2019年 玉島商工会議所 副会頭に就任
2019年 旭日単光章を受章