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シリーズ24 ~わたしと青山学院~ 住吉 正雄様
2021.07.19 更新
「香港、タイ、マレーシア」
入学して最初の授業で席が近かったことが縁で3人の留学生と仲良くなった。
香港から来た王蓮生君 通称ジョニー。いつもきっちりと茶色のジャケットを着て真面目そのもの。優しそうな、悲しそうな目が印象的だった。将来日本に住んで事業(実家が貿易商)をするつもりがあったのか日本の自動車免許を取りたいと言うので一緒に自動車教習所へ行って入所手続きを手伝ったり、都バスの定期を買いに行ったりと、まるでお世話係のように一緒に行動した。ジャンボパイ(大きな中国式麻雀のパイ)貰ったけど、その時の自分は普通の日本の麻雀に夢中で、狭い4畳半のアパートでジャンボは邪魔になっていた。(ごめんジョニー)
タイから来たスラチャト・マノエ・カラタナシリ君 通称スラッチャ。3人の中では日本語は今一歩で他の2人を通して会話していたけれど年も若く、茶目っ気たっぷり。皆のムードメーカー。自分の名前を覚えて貰おうと書いて見せてくれるが右から左に書くタイ語は真似も出来ないし、発音すら想像つかなかった。それを見て一番笑いこけていたスラッチャ。
マレーシアから来たのは貝健新さん 通称プイ。3人の中のお兄さん格。日本語の勉強も4年以上続けていて年も25歳位だった。なのに「先輩!」(日本人のことを誰でもこう呼ぶ)と寄ってきては日本語の言葉を漢字に直すように頼んでくる。こっちの方が分からなくてプイさんの辞書を借りながら教えていた。
背広姿のプイさんが近寄ってくると「また一つ漢字が覚えられる。」そんな気持ちになっていたけど今考えると日本人大学生のレベルは低いと思われていたかな。プイさんの実家は木材の輸出関係の仕事をしていて日本とも関係深く、家を継ぐつもりだったのか。だから一生懸命勉強しているのだなあと他人事のように思っていたけれど今更ながら我が身の不勉強が恥ずかしい。
(学生時代の筆者 大学4年生の就職活動での一枚)
(上の写真は卒業アルバムから。下の写真は「久保田先生のゼミ生とともに 筆者は最後列右から2番目」)
3人と巡り会ったこと。片言の日本語で意思を通じ合おうとしたことは田舎から来た大学生にとって貴重な体験をさせて貰ったけれど、今思うと絶好の国際交流の機会だったのに卒業後何度か手紙のやり取りをしたくらいで終わってしまった。懐かしいけど少し後悔の残る思い出となっている。
(広島の学友と九州旅行 中央が筆者)
(友達の友達と京都まで 右端が筆者)
住吉 正雄様 プロフィール
・79年経営学部経営学科卒
・卒業後は実家に戻り、79年に中国銀行に入行。
行員時代には12回の転勤で海外駐在も経験。一番の思い出は1988年のシカゴ東京銀行での6カ月研修、そして2002年から3年間の、“ジョニー”との縁か中国銀行香港支店に配属されたこと。
・現在、株式会社木村商会の常務取締役として第一線にて活躍されている。
(シカゴ東京銀行研修時代 インターバンクのソフトボール大会決勝にて 惜しくも敗退)
(シカゴ東京銀行の秘書 右からサンディ、ジュリー、ロザーン)