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シリーズ22 ~わたしと青山学院~ 小林 宏典様
2021.07.07 更新
おしゃれでクールな青学ボーイ。
そんなイメージとどこか似つかわしくない言葉、「愛校心」。
大学1年の時、サークルの友人に誘われ訪れた神宮球場で
そんな気持ちが芽生えた時の話をいたします。
時は1993年6月の全日本大学野球選手権。
春季リーグを制して初出場で臨んだ大会で我らが青学野球部は快進撃。トーナメントをあれよあれよという間に勝ち上がりその日は大学日本一をかけた決勝戦に臨んでいました。
当時、大学野球界には「青学旋風」が吹き荒れていました。それもそのはず、当時のメンバーがすごいといったらないのです。
主将はのちにダイエーや巨人で活躍したスラッガー、小久保裕紀。同じ4年生で4番を務めたのがなんと球界を代表する番長、清原和博の弟、清原幸治。そして外野には清原とkkコンビで名をはせた巨人の元エース、桑田真澄の弟の桑田泉。
さらに1年生には千葉ロッテの現在の監督で元メジャーリーガー、井口資仁。投手の柱は広島カープにドラフト1位で入団しエースとして活躍した澤崎俊和。
そうそうたるスター選手たちがぶいぶい言わせていたのです。
さてさて私はといいますと、桑田真澄ではなくサザンの桑田佳祐に憧れ、軽音楽サークルでギターをかき鳴らしておりました。
運動部とは全くもって無縁だったのですが、そこは時間を持て余す大学生、友人の誘いを断れずにしぶしぶ球場に足を運んだわけです。
するとどうでしょう、都会の大空を集めたような広い球場の解放感とそのスタンドを埋め尽くした大観衆。
なんだかテンションも高まり気づけばメガホンを持って誰だか知らない隣の同志と肩を組んで右に左に体を揺らしておりました。
(神宮球場での熱のこもった応援)
ただそこは青学生。ラグビー早慶戦や六大学野球の男臭いむさくるしさとは違って応援はどこか上品。観客の半分以上が女性だったこともあり、飛び交うのも「きゃあー」っという黄色い声援。応援も青学スタイルでした。
対戦相手や試合展開、スコアは覚えていませんがスター軍団青学野球部は初出場で初の大学日本一の栄冠に輝く快挙を成し遂げ、私はその歴史的瞬間に立ち会うことができました。
(リーグ優勝の胴上げ)
岡山から上京したての田舎者、そして正直、何の気なしに入った大学でしたが、その日を境に青学を母校として意識し、そしてその母校の活躍を誇りに思う感情が芽生えた気がします。
時は巡って時代は令和、あの時の青学ボーイはおしゃれでクールとは程遠い中年サラリーマンに。
でもあの日、芽生えた「愛校心」はいま、新春の箱根路を駆け抜ける緑のタスキに注がれています。
母校が活躍するとやっぱりうれしい、誇らしい。
がんばれ!我らが後輩、青学生。
あ、私も頑張ります、はい。
小林 宏典 様プロフィール(1997年 経済学部卒業)
(著者近影)
1972年 岡山市生まれ
1991年 岡山操山高校卒業
1993年 2年間修業ののち青山学院大学経済学部入学
1997年 OHK岡山放送株式会社入社
現在、報道部専任部長四国支社担当