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大学経済学部同窓会

Vol.4 「箱根駅伝と妙高市の絆」 風間 直人(1958年卒)

2021.01.12 更新
1958年(昭和33年)卒業の風間直人です。校友会上越支部長を務めています。

箱根駅伝、往路の結果は大変心配しましたが、総合4位・復路優勝は立派な成績です。選手から元気・勇気・感動、そして青学の誇りを貰いました。来年に大いに期待が膨らみました。

テレビでお気付きと思いますが、青学のユニホームに “ 妙高市 ” のロゴが入っていました。これは世界陸連の広告規定改定に伴い、日本陸連も新ルールを作って可能になった、とのことです。

新潟県妙高市は私の出身地であり、上越支部の域内ですので少しご紹介したいと思います。“ 妙高市 ”のロゴが入った経緯は、青学陸上競技部長距離ブロックが長年妙高市・杉の沢(妙高高原)「白銀館」で9月に一週間から10日間合宿をしています。青山学院大学・阪本学長と妙高市・入村市長が昨年11月30日に連携協定を結びました。妙高市は合宿の郷として、多くの学校の合宿地として利用されています。青学は2004年に妙高市・杉の沢で合宿を行って以来16年毎年合宿を行ってきました。“ 妙高市 ” のロゴを入れたことについて、原監督は次のようにコメントされています。

「妙高市には毎年、夏合宿でお世話になっている。ランニングに適した公園や道が沢山あるし食事も美味しい。金銭面だけで言えば、妙高市よりも良い条件があったが妙高市に恩返しをしたい、地域活性化です」

妙高市は人口23,000余の小さな町です。国立公園・妙高高原の中に、赤倉・関・燕など6つの温泉があり、赤倉観光リゾートスキー場、妙高パインバレー、ロッテアライリゾートなどはスキーリゾート地として有名です。

中でも、赤倉観光ホテル(赤倉観光リゾート)は 1937年に妙高山の中腹、標高1,000mの地に “ 高原リゾートホテルの草分け的な存在 ” として誕生しました。

“ 白い壁に赤い屋根 ” のホテルは、妙高高原のシンボルです。クラシカル・モダンな素敵なホテルですから、機会を作られて滞在されては如何ですか。ただ、年間を通して殆ど予約が取れませんので早めの予約が必要です。

当時、日本政府の外貨獲得政策として国際リゾートホテル建設が推進され、その一つとして建設されました。創業者の大倉喜七郎は、帝国ホテル、上高地帝国ホテル、川奈ホテル、ホテルオークラを作った日本のホテルの草分けです。

私の青学時代は、燕温泉「岩戸屋」で、体育のスキー授業が行われ何回か参加しました。経済学部の校友に中には参加された方が多いのでは、と推測しています。

燕のスキー授業に参加した後輩達と、スキー同好会(現在の体育会スキー部)を立ち上げた懐かしい想い出があります。

上越支部は、国内53支部ある支部の一つで、支部が出来て29年になります。歴史は古いですが、会員が高齢化し若い会員の入会が少なく悩みの種です。青学を卒業後は、地元に戻るOB・OGが少なく会員増強が出来ない原因です。

先に記した、青学・長距離ブロックの合宿に毎年ポカリスエット60本を持参し激励に行き、原監督からお話を伺うことを楽しみにしています。

上越市は人口約20万の地方都市です。石高60石の城下町で、城主は徳川家康の六男・松平忠輝です。いまでも寺町(65か寺)、料亭、雁木、高田城址公園(夜桜が有名)など城下町の名残が多くあります。歴史的には戦国武将・上杉謙信の居城、春日山城があり、また日本のスキー発祥地(1911年)でもあります。

所属:写真部・スキー同好会



秀峰・越後富士「妙高山」と中腹に建つ赤倉観光ホテル。直結してスキー場がある



ホテルからは雄大でなだらかな裾野が広がり、遠方には八海山・苗場山・草津白根山等の名峰を望むことができる



1937年(昭和13)に開業したホテルは高原リゾートホテルの草分け的存在。写真は開業当時
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