青山学院が位置する青山エリア。今もよく足を運ぶ場所です。それも私がこの地とつながりが深いファッション業界で仕事をしていたからでしょう。1990年代は、英国ブランドの青山店の店長として、2000年代以降はファッション関連企業特化型のコンサルタントやジャーナリストとして青山に通っていました。私にとって青山は学びや遊びの場であったとともに、仕事場でもあります。そんな毎日を改めて振り返ると、この青山の街は本当に変わりました。大学に通ったり、ランチやお茶をしに出かけたり、青祭の提灯行列で歩いた頃がついこの前のことのように思えますが、街の移り変わりを見るにつけ時の流れを感じます。
アイビーホール(旧青学会館)横のマンション1階には日本上陸したばかりの
「アニエスベー」があった
今回は青山学院から表参道駅までの通学エリアの移り変わりを皆さんと共有して思い出に浸りたいと思います。まずは青山学院記念館(入学式や卒業式、青祭のコンサートをやったところです)から骨董通りまでのエリア。このエリアはバブルに向けてブランドの出店が続いた場所でした。「アニエスベー」などはウィメンズ、メンズ、キッズの店を別々に出店し、たまに覗くと芸能人がお忍びで買い物をしていました。そのエリアはバブル崩壊後、ブランドの出店は少なくなりましたが、落ち着いた良い場所になっています。私の学生の頃の面影が一番濃く残っているエリアです。
骨董通りの古きランドマーク小原流会館
そして骨董通り。その名の通り骨董品店が多かったから名付けられた通りですが、バブル崩壊後やリーマンショック後もファッションストリートであり続けていました。ただし、コロナにより大きな打撃を受け、六本木通りの方に行けば行くほど寂しい状況となっています。今後インバウンドの復活により華やかさを取り戻してほしいところです。
かつての小さな商店街があった通り
有名洋菓子店「クドウ」があった場所には真新しいビル
そして骨董通りから楡家通り(表参道から根津美術館までの通り)までのエリアは今や世界有数のファッションエリアに。人生において私が最も足を運んだ界隈です。ここはかつて人々の暮らしを感じることができた界隈でした。懐かしいドラマ「ふぞろいの林檎たち」でも登場。ヒロインが疾走する商店街は、骨董通りより一本表参道寄りの通りです。当時は豆腐屋さんや八百屋さん、有名洋菓子店が軒を連ねていました。今は海外ブランドや美容院が立ち並んでいますが、中華そばの「だるまや」は健在です。多くのビルが建て替えになる中、小原流会館や故向田邦子氏の住まいとして有名だったヴィンテージマンションが当時の様子を伝えています。
かつてスーパーがあったビルは取り壊され期間限定のイベントスペースに
最も変わったのが表参道の交差点でしょう。スーパーあずまがあった場所はビルごと取り壊され、期間限定のイベントスペースとなり、現在は「カルティエ」がイベントを行なっています。楡家通りは「コムデギャルソン」や「イッセイミヤケ」、「ヨウジヤマモト」などの日本を代表するデザイナーのショップがあったので「カリスマ通り」と言われた時期もありましたが、今はパリコレクションやミラノコレクションで最もイキがいいと言われるブランドが出店する通りとなっています。しかし、そこはシャンパンの泡のように儚い世界でもあり、入れ替わりが激しい通りでもあります。
「青学生通学エリア今昔話」というテーマで思い出と現在の状況をお伝えしましたが、たかだか30年の話。今度、私より先輩方が通っていた頃の話を聞きたくなりました。
所属サークル名:ATTEC テニスクラブ