―老いらくの趣味、そして想うこと―
この春83才になった。物忘れが増え、携帯、眼鏡を何処かに置き忘れ家中探し回る。家内にはまたかと冷笑されて、自分自身は運動になると言い訳する。ボケが進んでいることを自覚するこの頃である。格言に「趣味は老後の最良の友」という言葉がある。私の趣味は囲碁とガーデニング、それに最近レコードを聴く楽しみが加わった。
○囲碁
現役引退後地元の囲碁クラブに入会。活動場所は歩けば30分ほど先の市の公民館だ。活動日は水曜日と日曜日。日曜日は家内と近くのICU教会へ行き、礼拝後クラブへ直行する。「亭主元気で留守がよい」家内も喜んでいる。囲碁は「着眼大局、着手小局」盤面全体を見ながら手元の戦いに細心の注意を払うそのバランスが大切だ。判っていても「しまった。そんな手があったのか」の失敗の連続である。歳のせいにはしたくないが一向に上達しない。でも楽しい。
上手い、下手に関係なく仲間は良くしてくれる。最近は女性の入会者が増え、年齢は不詳であるが、皆熱心でクラブに花を添えてくれている。囲碁仲間の間では普段過去の経歴とかプライベイトな話しはほとんどしないが、仲間の一人に青山学院英文科出身の女性がいるのが判った。さすが青山、気品がある。彼女を含めてだが女性の囲碁熱は凄い。女性は女性を呼び、いずれこの会も女性の数が上回るだろう。そんな時代である。
○ガーデニング
庭いじりは暇を見つけて手掛けていたが、本格的に取り組みだしたのは現役引退後だ。冬でも天気のよい日は用事がない限り午前中を家周りの掃除、庭木の手入れに当てている。梅、桜、花水木、木蓮、藤など花をつける樹木が多い。美しいが枯れ葉の掃除は大変である。樹木の剪定も脚立に上って出来る範囲(3メートル程度)は自分で行っている。通り掛かりの人にお世辞でも「プロの職人さんより上手」と言われる程にはなったが、最近は脚立に上るだけで「危ない!」と家内だけでなく、近所の奥様方からも怒られる始末だ。「好きなことで死んでも本望」と強がりを言っているが、情けない。初春、芝生の雑草取りが始まるが、除草剤は使わずピンセットを使い徹底的に抜いていく。そこまでしなくてもと思われるが、この作業をしているといつの間にか、無心になれる。所謂無我の境地だ。貴重な時間である。
花壇は家内の領域だ。季節の移り変わりに沿って色とりどりの花が植えられる。色合い、高さのバランスが難しいらしい。花の名は意外に難しく教えられてもすぐ忘れてしまう。宿根草はどうやら覚えて毎年咲くのを楽しみにしている。家内は英国に駐在していたことも影響したのだろうかイングリッシュガーデンに憧れているようだ。
そもそも自分は和風作りの庭を目指してきた積もりであったがいつのまにか和洋が入り交じってしまった。訪れる人は「和と洋が喧嘩している」と言う。囲碁同様にバランスが難しい。
〇レコード
半世紀以上も前になるが、ニューヨーク勤務時代、好みのレコードを収集した。100枚位貯まったであろうか。時代はテープ、CDへと移り、レコードは廃れてしまった。いつの間にかオクラ入りし、プレイヤーも遠の昔、故障したのを機会に処分してしまってあった。身辺整理をと取り出した。プーンとマンハッタンの懐かしい香りが漂ってくるではないか、たちまち当時にタイムスリップ。「もう一度聴いてみたい」との気持ちが強くなり、今さらとの思いもあったが、プレイヤーを購入した。レコード愛好者が増えていることも背中を押した。
スピーカーはレコードと共に持ち帰ってきたアナログ時代のものでレコードとの相性は抜群だ。アンディウイリアムス、ベラフォンテ等我が青春時代の歌声が優しく流れてくる。チェアーにもたれ、ぼんやりと庭を眺める。過ぎ去りし日々の思い出が脈略なく浮かぶ。至福の時間だ。
「趣味」は心身共に健康を支えてくれる良薬でもある。お陰で学院の同期の仲間との交流も元気で続けられている。会えば老後はない。当時に返る。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべてのことに感謝しなさい。
これがイエスキリストにあって神があなた方にもとめておられることである。
(テサロニケの信徒の手紙第5章16節?18節)
私の愛唱句、今の心境だ。
以上
所属:桜井信行ゼミ(商学科)
筆者自宅の庭木
筆者自宅の庭木
右から3人目が筆者