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青山学院大学体育会ラクロス部OB(OG)会

青山・渋谷という場所 / ヒストリー

2019.06.15 更新
渋谷-青山の都市領域を考える-過去・現在・未来

「都市領域としての渋谷-青山 Shibuya-Aoyama as Urban Territory」

伊藤毅 総合文化政策学部教授

2019年6月15日@青山学院大学公開講座より



青山という場所は、

寛永江戸全図によると江戸幕府が相模国の戦に備えた軍用道路(大山街道が今の青山通り)。

鉄砲組みの百人隊を率いた渡辺氏、

将軍秀忠の側近で徒頭の長谷川氏、

夏の陣後の大阪城代で老中の青山氏に拝領した重要地。

青山学院の所在地は長谷川氏が17世紀末に松平氏に土地を相対替し

細かく区割りされた江戸時代からの都市集積地。

幕末そして明治維新後、

明治政府は松平氏から土地を接収し開拓使1号用地とし、米国と清から輸入したりんご・もも・スモモ・梨・ぶどうの栽培を行い第一官園とし北海道開拓のための東京の演習地として活用。

1889年(明治22年)5月に赤坂区から渋谷区に区画変更されている

渋谷は1884年(明治17年)に駅舎開発され、

青山学院(1883年東京英和学校)等の教育機関・軍事施設・練兵場の設置が進んだが、1923年関東大震災以降に田園調布や成城なでの郊外住宅地化政策で東横線(1927年)や井の頭線(1934年)を拡大し要所として発展

戦後アメリカ進駐軍の宿舎があった原宿が海外ユースカルチャーの出島となり日本最初のストリートカルチャーが育まれていく。

1953年に日本初のスーパーマーケット青山紀ノ国屋が誕生し、青山学院の敷地内には外国人牧師館、敷地横にはガレージを配した外国人ハイツが並び、アメリカンスタイルが原宿と青山学院を繋いでいく

1964年の東京五輪にあわせてスポーツ施設が建設され、NHKが渋谷に移転、同時期に石津謙介とVANが青山で次々と街を変え文化を生み出し、発展の転機となった

日本現代建築史にデザインサーベイという手法が生まれた背景には

石津氏を師事し青山に集まった若手建築士が当時行き詰まり感のあった建築デザインを革新し若手デザイナーも青山から育っていった点で

青山の価値を高めている

青山-原宿と渋谷は、Adjacent Possible-隣接可能領域として

政府主導の政策的な発展型ではなく、点在した発信地が民間や個人の力で繋がっていった発展型であり、青山学院はその接点地に在し発展している

OB会長 温湯 達也 (1期)


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