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学童野球に飛び込んで【前編:監督としてコーチとして】 = 塚本樺雄さん =

2022.08.10 更新
 1969年経済学部卒(建築班)の塚本さんは古美研創部時から古美研の基礎作りをされたメンバーのお一人で、創立50周年事業の実行委員としても多大な貢献をされています。また、塚本さんは38年前から今日に至るまで学童野球の指導者としてご活躍中です。そこでこの度、「学童野球に飛び込んで」なるお話を伺い、編集し記事として取り纏めました。

記事は【前編】【後編】の2回にわたり掲載をさせていただきます。



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 私が学童野球にハマったのは40歳の時、息子が小学校3年生の時です。今年で38年目となります。当初、暫くの間は前任監督の下でコーチとしてお手伝いをしていました。その時に大切にしていたことは“山本五十六”の名言『やってみせ、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ』で、それを常に頭に置き子供達に野球を教えていました。もともと私の野球は誰に教わった訳ではありません。当然ながら自分で勉強をしましたが、子供達に野球を教えたいというよりは一緒になって練習をしていたというのが正しいかもしれません。

 2002年から通算6年間監督の座を仰せつかりました。つまり、1年生から卒部する6年生になるまで新入生の面倒を見ることになります。野球の右も左も知らない子供達を教える訳です。たまたま12名程いたと記憶していますが、野球はレギュラー選手9人プラス控え選手3、4人がベンチにいるのが丁度良いと感じていました。





 ある日、練習中に言うことを聞かない子供がいたので、子供に『お前、言うことを聞かないなのであれば“家に帰れ~”』と怒鳴ってしまったことがあります。すると、その子はそそくさと家に帰ってしまいました。翌日、その子が首根っこをお母さんに掴まれてやって来ました。お母さん曰く『監督に謝りなさい~』と。後で聞いたら、そのお母さんは柔道をやっていたようです。今、その子は26歳になりました。数年前の父の日に、彼からコーヒー用マグカップとプロのイラストレーターを目指す彼の作品をプレゼントされたことは今も思い出として心に焼き付いています。

 その後、監督は若い人に譲りチームの代表者に祭り上げられることになりました。

 最近、野球少年が減っているのが残念でなりません。船橋市の学童野球も例に漏れず、2005年には6年生のチームが42でしたが、今年2022年は30チームとなってしまいました。そのような状況ですが、2017年、創部43年目の我が弱小チームにやっと報われる時が来たのです。なんと船橋市32チームの頂点に立つことが出来たのです。決勝戦は船橋市市営運動公園グランドにて開催されますが、野球少年にとっては高校野球の甲子園のようなものなんです。優勝決定の後、野球協会の会長(市議会議員で元議長)が真っ先に私の所に駆け寄り握手をして下さいました。流石に私も嬉しくて危うく涙がこぼれそうになったと記憶しています。

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*指導者冥利に尽きるお話ですね。学童野球でも勝負に拘る指導者の方が多くいらっしゃると、ミズノ野球販促部員から耳にしたことがあります。塚本さんがご指導されてきたチームの優勝は、大いに意義のあるものだったのではないでしょうか。本当におめでとうございます。

後日、【後編】を掲載させていただきますのでお楽しみ下さい。

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