京都支部能楽鑑賞会
開催日:平成 29 年(2017 年)11月 25 日(土)
訪問先:ウェスティン都ホテル 「四川」 出席者:19 名
晩秋の彩りがまだ残っている11月25日、ウェスティン都ホテルに於いて、能楽同好会の今井相談役をお迎えし、能「定家」を読み解くと題して、講話会がもたれました。
ホテル内のレストランの特別室にて、11時半から前半のお話、昼食会、午後もお話の続きと質疑応答と、和気藹々の講話会となりました。
「定家」は謡を習い始めて10年以上たたないと教えてもらえない難しい曲と言われています。その、能「定家」の物語りを能楽研究家で能楽同好会相談役の今井氏に解き明かして頂きました。(能楽同好会 K世話役)
当時の貴族達の間では二人のことが噂されたらしいが、実際には式子の方がかなり年上で恋が芽生えるような関係は史実としてはない筈であるが全くの創作とも云えない恋の物語である。定家の執心は死後葛となって式子の墓にまつわりつくという激しさで、式子も受け身ながら燃え立ち、共に妄執に苦しむというのが主題である。しかも恋にやつれたしがたで舞を舞う、その耽美的な工夫もこの能の特徴と云えよう。
端的にいえば、この能は定家・式子内親王の和歌で表現されている。先ず、導入部では前シテ・所の女(実は式子内親王の化身)がワキ・北國よりの旅僧が時雨で雨宿りしているところに現れ、定家の建てた時雨亭の由来を定家の歌で教える。
―偽りの なき世なりけり神無月 たがまことより時雨そめけん―
シテはワキを葛で這い纏われた式子の墓に案内する。ここで式子の心情を吐露した歌が出る。
―玉の緒よ 絶えなば絶えねながらえば 忍ぶることの弱りもぞする―
そして、定家の歌が示される。
―哀れ知れ 霜より霜に朽ち果てて 世々に古りぬる山あゐの袖―
歌の心は、賀茂で斎院として過ごした式子の宿命の哀れと、更に定家・式子の二人が逢うこともままならない仲となり、朽ちた衣の袖に涙する身を哀れに思えと訴えている。
続いて本曲の最重要箇所に定家の恋歌が置かれている。
―嘆くとも 恋ふと逢はん道やなき 君葛城の峰の白雲―
定家が式子を葛城の峰の彼方の雲にたとえ、及ばぬ恋なれば嘆くとも恋ふとも逢うべき道なしと、深い思いが込められている。そして更に定家の思いは白雲に届けとばかり激しいものであった。定家葛に呪縛された後シテ・式子の霊は、ワキの法華経「薬草喩品」の読経によって身体が自由となり、舞を舞う。しかしその姿は恋にやつれ果てて、あの葛城伝説の神のように醜い姿であり、舞終わると、もとのように再び定家葛に這い纏われて墓の中にはかなく消えて終曲となる。
私は、この舞は愛の喜びの舞いであると思う。なぜ醜い姿を見せるのか、それは定家葛に巻かれた姿を見せたいからであり、定家との恋物語を語りたいからである。死んでから恋しい相手の執心の葛に纏われる状態を嫌がってはいない。むしろ禁断の恋の辿り着く地獄の苦しみを喜んでいるのである。本曲名は「定家」であり、彼の恋を描いているので、主役は定家と錯覚しやすいが、曲中には定家は現れて来ない。有名歌人と高貴な女性の恋の妄執のもの語りである。
以上
(ひとこと)
「能」は、音楽劇、即ちオペラなんです。音楽と歌が中心ですから、ストーリーがはっきり見えません。その見えないところを、見る人の想像力、文化力で補っていく、能はそういう見方をするとどんどん面白くなるんですね。