第23回岐阜県支部の集を6月15日(日)12時から「じゅうろくプラザ」で開催しました。
平成1年 法学部 卒 後藤 武さんが報告書を作成しましたので、全文掲載いたします。
「報告書を書け」とご指示を頂戴したのですが、私は報告すべき立場にはありません。よって、恐縮ですが第一回にも参加した古参(しかし平成卒)の二十年ぶりの参加に舞い上がった感想文ということで書かせていただきます。当日の雰囲気を少しでもお伝えすることができ、同じようにしばらくご無沙汰している方々の「久しぶりに私も行ってみようかな」というお気持ちを少しでもくすぐることができましたら幸いです。
平成も四半世紀を過ぎ、岐阜県支部の集いも既に23回を数えるとのこと。時の流れの早さには、ただ感じ入るのみです。本来接点など持ち得なかったこの会合に私が参加できたのはたまたま目を通した新聞のベタ記事がきっかけでした。独立起業し人との交流に餓えていた私は岐阜県支部発足の知らせにとびついたものです。今思えば、よくもまあ、何の接点もない大先輩のところへ電話などできたものだなあと。それも固定電話主流の時代ですから尚更。これも若さの力だったのでしょう。そして縁ですね。
どこの都道府県にもありがちですが、岐阜もまた必ずしも県庁所在地と県内の諸市とのアクセスに恵まれてはいません。当時私は車で3時間近くかけて岐阜に足を運んでおりました。それが今や有料道路網の整備によって1時間で着くことができるように。やはり四半世紀経っているんですね。
会場も変わりました。初回は長良川河畔の老舗ホテル。その後、国際会議場を備えた海外資本の大型ホテルに場所を移し、さらには各地域の持ち回りなど様々な工夫が凝らされ、現在はJR岐阜駅近くの「じゅうろくプラザ」。岐阜駅もすっかり変貌を遂げていました。
受付の段階で既に懐かしいお顔の数々。比喩ではなくつい昨日お会いしたような錯覚に陥りますが、既にその頃生まれた子が成人するくらいの年月は経ています。これが久々の参加ゆえの懐かしさというものでしょう。
古き良き時代のNHKのアナウンサーを思わせる遠藤先輩の司会で総会は滞り無く進められます。坂崎支部長の力強い挨拶、山北青山学院長のユーモア溢れるご祝辞、青山学院校友会相川会長の旅心を刺激するご祝辞、三重県支部稲垣支部長、あいち支部二村副支部長の支部の紹介を兼ねてのお話に、目の前の料理を平らげることも忘れてしまいました。
恒例の写真撮影、カメラもずいぶん小さくなったものです。若い人には現像も焼き増しも通じない言葉になっているのかもしれません。
押谷先輩の軽快な司会による後半のお楽しみ懇親会がスタート。山北院長のご講演のテーマは「地の塩」。おお、東京ドームで聴けなかった「地の塩」(注 ローリング・ストーンズに同名のナンバーがあるのです)をここで聴けるとは。もちろん院長がストーンズを歌われるはずもなく、これはかの有名な山上の垂訓の一節から。たしかマタイ伝だったような気がするのですが、違ってましたらご寛恕を。「地の塩、世の光」、「汝らは地の塩なり、世の光なり」美しい言葉です。「始めに言葉ありき」とはまさに言い得て妙。私は人類の最大の発明は言葉であるという自論の持ち主ですが、神が人類に与えてくださった言葉というものに深い感謝の念を抱かずにはいられません。「この世に役に立たぬものはない、この世に存在価値のない人間などいない」塩の効用という科学的な話も交え、わかり易い比喩を駆使し、きっぱりと言い切る院長のお話。キリスト教概論を三度受講し、ついには他の生徒よりも聖書にハマってしまい、常に心にヨブ記を思い起こしながら生きてきた四半世紀を間違っていなかったのだと思うことが出来ました。
続く支部の活動報告、奥原先輩の清流マラソンでの陸上部応援のお話を伺い、来年は自分も、と気持ちも高まり、(そういう時に限って仕事が入るものではありますが)陸上部諸君の地元訪問の際の逸話には誇らしささえ感じさせていただきました。
待ってましたのアトラクションでは、岐阜のうじきつよし(私が勝手に命名)こと尾関先輩のミニライブ。圧巻は岐阜支部のマスコットガールに捧げる一曲。もうお腹いっぱいです。
ファイナルはもちろんカレソン。副指揮の身でありながら合唱団を途中退団した私ですが、二十年前と少しも変わらぬ渡辺先輩らのエールと振付に、複雑な思いもどこへやら。二番に至っては一人で下のメロディ歌って勝手にハモってしまった私でした。
それにしても、23回。ここまで続けることができた、そして盛況を維持できたというのは、役員の皆様初め諸先輩、後輩諸君のご尽力の賜物でしょう。今後共、校友の皆さんのご健勝と岐阜県支部はじめ校友会のご発展を祈りつつ、筆を置く、ではないですね、キーボードから指を離したいと思います。素晴らしい会をありがとうございました。
H01卒 法 後藤 武 著