山中宏美(S53経済)
去る令和4年5月22日(日)16時から18時まで「丸八不動産田町サロン」において「三代目山の神“神野大地選手”トークイベント&囲む会」が開催されました。前半の1時間を「トークイベント」後半の1時間を「懇親会」と言う構成で行われました。当日は好天にも恵まれ、事前に参加申し込みをいただいた30名全員の出席をいただきました。校友会西部支部のメンバーを中心に遠くは東京・静岡からのご出席もいただきました。コロナ感染防止も考慮して定員を30名にしぼり込み募集しましたが、直ぐに定員一杯になる人気ぶりでした。会場内も各人の椅子の間隔は十分にとりマスクを着用し天井も高く換気もよい環境で行われました。この会の最大の特徴は、会場と懇親会の飲食物は校友の平野啓介丸八不動産社長(H16大学院)より提供していただき、参加者の参加費全額を神野選手のプロランナーとしての活動資金にしていただくことでした。
前半の「トークイベント」は、予定より10分ほど早く15時50分よりスタートしました。はじめに長谷川支部長からの挨拶があり開催までの経緯の説明ありました。進行はプロの司会者である北島直子さんと神野選手の対話方式をとりました。1時間を通して、神野選手の話題豊富でユーモアあふれるトークに参加者全員が笑いあり頷きありで聞き入りました。
神野選手は、小学生の頃は野球選手だったそうですが、中学生の時に見切りをつけて陸上選手になったそうです。当初は、市内(愛知県津島市)大会から地区大会止まりのレベルの実力で全国大会には縁がなかったそうです。それでも運良く高校は名門の中京大中京高校に進学しますが、はじめは女子選手と一緒に練習するレベルだったそうです。その後急成長して高校2年生には5000m14分台に入ります。そして夏の菅平合宿で運命の出会いをします。同じく合宿に来ていた青学の原監督の目に留まります。入部条件の14分40秒に至っていない時に、原監督が合宿所に来て君は必ず伸びるとスカウトされたそうです。そしたら間もなく入部条件をクリアーし全国大会にもいける様になったそうです。高校3年時には多くの大学の監督の誘いを受けたそうです。それでも一番はじめに声をかけてくれた原監督の青学を選択します。実は既に高校2年の秋の時点で青学への進学は決めていたそうです。そして青学での活躍がはじまります。ただ1年生時は怪我で各大会には出場出来ず、2年生時にエース区間2区を走ったのが箱根駅伝デビュー戦でした。そして3年生時に伝説になった山登り5区の画期的な新記録と大学としての総合初優勝につながります。三代目山の神が誕生した瞬間でもありました。4年生ではキャプテンを務めチームの2連覇を達成します。大学卒業後は短期間実業団チームに所属しましたが、自分の夢を叶えるためにプロの道を選択します。自分の夢とは「パリオリンピックに出場して活躍する」ことだそうです。この夢を実現するために選択したのが「浜松への移住」だったそうです。尊敬しコーチをしてもらっている藤原新コーチが浜松にいることと、佐鳴湖湖畔周遊コース・中田島海岸・四ツ池公園陸上競技場など練習環境が素晴らしいと判断したためだそうです。そしてついに昨年12月に夢につながる「MGCの切符」を防府マラソンで手に入れました。そのMGCは2023年秋、あと1年半です。2024年パリオリンピックにつながる夢ロードを、浜松の地で練習して実現するのだそうです。
あっという間の1時間のトークの後に、質疑応答の時間がもうけられました。食生活・心理面の持ち方等の質問が出ましたが、丁寧にわかりやすく説明していただいたのが印象的でした。
そして、後半の懇親会がはじまりました。個別にツーショト写真をとったり、神野選手を中心に全員での写真撮影をしました。その後は、個別に神野選手と話したり校友会メンバー同士での話しあったりであっという間に懇親会も終了しました。
最後に、活動資金(参加者全員の参加費)が神野選手に渡されました。そして神野選手から、「夢のパリオリンピック出場」そのための「MGC」でのオリンピック出場切符の獲得への堅い決意をもう一度聞かせてもらいました。「MGC」の開催地である東京に応援に来てほしいとの神野選手からの要望もあり、是非行くぞとの声も上がりました。中には、パリに応援に行くぞとの声もありました。全員の目に、夢を持ちそれを実現しようとする若者の姿がなんとも眩しく逞しく見えたのではないでしょうか。是非夢を叶えて欲しいものです。解散後は参加者全員が笑顔で三々五々と家路につきました。