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第25回TWC定例会実施報告≪忠臣蔵物語(赤穂事件)≫
2019.12.24 更新
第25回TWC定例会実施報告 ≪忠臣蔵物語(赤穂事件)≫
実 施 日 : 令和元年11月23日(土曜) 曇り時々小雨
集合場所 : 松戸駅改札口内(アトレー前)
集合時間 : 8時45分 参加者11名(男8名+女3名) 欠席者7名
目 的:「歴史の名画面をめぐる…忠臣蔵物語(赤穂事件)」
コース概略 :
≪集合≫松戸駅:
松戸9:03⇒日暮里⇒秋葉原⇒両国駅9:30→両国橋東:大高源五の句碑
→回向院→吉良邸跡→両国駅(都営大江戸線)⇒門前仲町→永代通り
→永代橋東詰の乳熊ビル(浪士休憩の碑)→鍛冶橋通り→亀島橋西詰
→堀部安兵衛の碑→八丁堀→亀島川高橋→湊→鉄砲洲稲荷神社:鉄砲洲公園
→佃大橋→明石小前→聖路加国際医大→築地川公園→浅野内匠頭邸
→築地本願寺(間新六供養塔)
→築地KYビル(熊研吾設計)内の「築地藪そば」≪昼食≫
→万年橋通過→(都営浅草線)東銀座駅⇒泉岳寺駅→泉岳寺
→熊本藩細川家下屋敷跡→魚籃坂→忍願寺駐車場(長松寺・荻生徂徠墓)
→(都営三田線)白金高輪駅⇒御成門駅
→浅野内匠頭切腹の田村邸上屋敷跡(田村右京太夫若年寄奥州一関三万石)
→(メトロ銀座線・都営浅草線・JR線)新橋駅≪解散≫
(→徒歩、⇒⇒電車)
・両国橋東:大高源五の句碑
宝井其角と俳諧を通じての親交、其角のはなむけの「我が雪と思へばかろし傘のうえ」との句を贈られた源吾は「日の恩や忽ちくだく厚氷」と返したという。
・回向院
「鼠小僧の墓」「山東京伝の墓」等がある。本来は明暦の大火(振袖火事)で亡くなった無縁仏を供養するために建立。討入りを果たした義士たちはここで休憩をとろうとしたが拒まれ、両国橋東詰へ歩を進めた。
・吉良邸跡
「首洗い井戸」、吉良邸は幕府に没収されたが、その後は武家に敬遠されて住む者が現れずいくつかに分割されて町家になった。園内の壁には資料が展示されている。
・永代橋東詰の乳熊ビル(浪士休憩の碑)
乳熊味噌の竹田作兵衛は同じく其角の同門の俳友、義士を招き入れ甘酒をふるまったとされるところ。現在でも12月14日前後の数週間には振舞の甘酒がなされているそうである。
・堀部安兵衛武庸(たけつね)の碑
堀部は高田馬場の決闘で有名。武勇を伝え聞いた堀部弥兵衛の娘婿となる。
・鉄砲洲稲荷神社
この付近を義士たちが過ぎたあたりで、浅野家出入の豆腐屋「菱や」に立寄りお湯漬けを御馳走になったというエピソードが残っている。神社の宮司に確認したところ豆腐屋については知らないが神社前の裏街道を通って泉岳寺に向かったのは事実との事。御守りが人気で江戸時代の富士塚が現存する神社。
・浅野内匠頭邸跡
討入りの時は既に他藩の手に渡っていたが、赤穂浪士一同は万感の思いでかっての藩邸前を通過した事であろう。
・築地本願寺
引き揚げの際、義士間新六が金子を結びつけた槍を寺内に投げ入れ自身の供養を依頼したというエピソードがある。その時の槍や間新六の供養塔が残っている。
・泉岳寺(首洗いの井戸・血染めの石)
赤穂浪士が眠る寺。上野介の首を洗ったとされる井戸や、内匠頭が切腹したときに田村邸の庭のあったとされる血染めの石などがある。義士の墓地に御参りし、寺坂吉右衛門の墓とその他義士46人の墓の違いを確認してみたい。是非とも読んでもらいたい忠臣蔵の本=池宮彰一郎「最後の忠臣蔵」角川文庫590円
泉岳寺での記念集合写真
・熊本藩細川家下屋敷跡
内蔵助ら17名の浪士が預けられた熊本藩細川家の下屋敷跡地。
≪その他の切腹した義士の預け先≫
岡崎藩水野家中屋敷、三田駅近く・・・9名
松山藩松平家中屋敷、現イタリア大使館・・・10名
長州藩毛利家下屋敷、現六本木ヒルズ(毛利庭園)・・・10名
・長松寺・荻生徂徠墓
赤穂浪士の討ち入りは武士の鑑として称賛を浴び、処分裁定の論議で浪士に同情する者が多かった。しかし徂徠は、法を曲げては政治に影響すると、断固として切腹を主張した。
・浅野内匠頭切腹の田村邸上屋敷跡(田村右京太夫・若年寄奥州一関三万石)
石碑が説明文とともに建つ。この近くに和菓子老舗の新星堂があり、その「切腹最中」が有名である。当日は店舗改装中で参加者へのお土産が配付できなかったのが心残りである。
落語から・・・落語に謂う「法の道理」
落語や講談・浪曲の演目で知られる「徂徠豆腐」は、将軍の御用学者となった徂徠と、貧窮時代の徂徠の恩人の豆腐屋が赤穂浪士の討ち入りを契機に再会する話。
江戸前落語では、徂徠は貧しい学者時代に空腹の為に金を持たずに豆腐を注文して食べてしまう。豆腐屋は、それを許してくれたばかりか、貧しい中で徂徠に支援してくれた。その豆腐屋が、浪士討ち入りの翌日の大火で焼けだされたことを知り、金銭と新しい店を豆腐屋に贈る。ところが、義士を切腹に導いた徂徠からの施しは江戸っ子として受けられないと豆腐屋はつっぱねた。それに対して徂徠は、「豆腐屋殿は貧しくて豆腐を只食いした自分の行為を『出世払い』にして、盗人となることから自分を救ってくれた。法を曲げずに情けをかけてくれたから、今の自分がある。自分も学者として法を曲げずに浪士に最大の情けをかけた、それは豆腐屋殿と同じ。」 と法の道理を説いた。さらに、「武士たる者が美しく咲いた以上は、見事に散らせるのも情けのうち。武士の大刀は敵の為に、小刀は自らのためにある。」と武士の道徳について語った。これに豆腐屋も納得して贈り物を受け取るという筋。浪士の切腹と徂徠からの贈り物をかけて「先生はあっしのために自腹をきって下さった」と豆腐屋の言葉がオチになる。
文責:佐々木
追記
今回の25回実施をもちましてTWCの運営責任者の一人であった 佐々木 侑は退任することとなりました。5年の長き期間を東葛地区校友会の皆様とその都度、楽しくウォーキングを実施できたことは大きな喜びでありました。拙い説明や解りづらい資料の提供など皆様には頼りないリーダーであったことと存じますが、今後は一校友として参加させて頂く所存でありますので、どうぞひき続き宜しくお願い致します。紙面をお借りしまして、感謝の気持ちとともに御礼を申し上げます。