支部
このサイトでは、千葉県東葛支部の活動についてお知らせしています。
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*鈴ヶ森刑場 鈴ヶ森刑場は、北の小塚原刑場とともに、南の東海道に設置された刑場。 この近くにある鈴ヶ森八幡の鈴石にちなみ「鈴ヶ森」と呼ばれたという。1651年(慶安4年)開設され1871年(明治4年)閉鎖された。220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑された。最初の処刑者は「慶安の変」の丸橋忠弥で、天一坊、八百屋お七といった人物がここで処刑された。 |
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*浜川砲台跡 1853・54年の黒船来航に際し、防衛のため土佐藩も砲台を築いた。2015年に民意の力で砲台が完成した。実際は八門の大砲を備え、中でも一番大きかった六貫目ホーイッスル砲を再現した。坂本龍馬もここで「幕末の動乱」を目撃し、日本の洗濯に奔走していった。 |
*坂本龍馬像 北浜川児童遊園に建つ坂本龍馬のブロンズ像。2010年に京浜ロータリークラブより寄贈されたもので、龍馬が20歳頃の顔を再現している。かつてこの辺りには土佐藩により浜川砲台が築かれ、若き坂本龍馬もこの地で守備についたとされている。 |
*山内容堂墓地 鮫洲駅近くの丘に「山内豊信(容堂)墓」がある。山内容堂は土佐藩15代藩主。幕末の四賢侯と称されたが、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」の心で倒幕に賛同していたわけではなかった。明治2年に内国事務総裁を辞職し、妾を十数人も囲い酒と作詩の日々を送るが、明治5年46歳で脳溢血に倒れ亡くなった。 | |
*西郷・勝会見地 新政府軍の江戸城総攻撃は、慶応4年(1868)3月15日に予定されていた。その前日、3月14日、参謀西郷隆盛と徳川家陸軍総裁勝海舟の会談が、薩摩藩邸で行なわれた。薩摩藩蔵屋敷跡は現在、三菱自動車本社ビルで入口に碑が立てられ、円形の石に「江戸開城西郷南州勝海舟会見之地」と大書されている。 |
*薩摩藩邸跡地 現在はNEC本社ビルの北側生け垣に藩邸跡地の石碑がある。 |
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*西郷屋敷跡地 現在は区立日本橋幼稚園・小学校の建物の前に屋敷跡地の説明看板がある。 |
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*吉田松陰終焉の地(伝馬町牢屋敷跡) 「安政の大獄」で刑死した吉田松陰の終焉の地碑が、小伝馬町の「伝馬町牢屋敷跡」を公園にした「十思(じっし)公園」の片隅にある。留魂録冒頭の「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとどめ置かまし大和魂 十月念五日二十一回猛士」と記した石碑がある。安政6年10月27日処刑、行年30歳。 |
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*龍馬北辰一刀流千葉道場跡地 現在は千桜小学校も整理され「玄武館」の説明石碑が残るのみである。 |