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千葉県東葛支部

第19回TW定例会≪「坂本竜馬物語と歴史の名場面を巡る」≫実施報告

2018.10.07 更新


 日  時:2018年9月22日(土曜) 曇りのち晴れ

 集合場所:JR松戸駅改札口内  参加者16名
 コース概略(予定):
  松戸8:45⇒JR品川駅→乗換京急⇒大森海岸→鈴ヶ森→浜川砲台
  →龍馬像→土佐藩邸→京急鮫洲⇒乗換JR品川⇒JR田町
  →西郷・勝会見地→薩摩藩邸跡地→都営三田⇒都営人形町
  →西郷屋敷→(食事)→松陰終焉地→龍馬千葉道場
  →(現地解散)JR秋葉原⇒松戸
 行動時間:約7時間、歩行数:約15,000歩、歩行距離:約5~6km

*鈴ヶ森刑場
 鈴ヶ森刑場は、北の小塚原刑場とともに、南の東海道に設置された刑場。
 この近くにある鈴ヶ森八幡の鈴石にちなみ「鈴ヶ森」と呼ばれたという。1651年(慶安4年)開設され1871年(明治4年)閉鎖された。220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑された。最初の処刑者は「慶安の変」の丸橋忠弥で、天一坊、八百屋お七といった人物がここで処刑された。
*浜川砲台跡
 1853・54年の黒船来航に際し、防衛のため土佐藩も砲台を築いた。2015年に民意の力で砲台が完成した。実際は八門の大砲を備え、中でも一番大きかった六貫目ホーイッスル砲を再現した。坂本龍馬もここで「幕末の動乱」を目撃し、日本の洗濯に奔走していった。

≪集合写真≫


*坂本龍馬像
 北浜川児童遊園に建つ坂本龍馬のブロンズ像。2010年に京浜ロータリークラブより寄贈されたもので、龍馬が20歳頃の顔を再現している。かつてこの辺りには土佐藩により浜川砲台が築かれ、若き坂本龍馬もこの地で守備についたとされている。

*土佐藩下屋敷跡地
 土佐藩下屋敷があった場所は、現在は中学校ほか住宅地となっている。黒船到来時、龍馬はこの下屋敷に滞在し沿岸の警護にあたったものと考えられる。





*山内容堂墓地
 鮫洲駅近くの丘に「山内豊信(容堂)墓」がある。山内容堂は土佐藩15代藩主。幕末の四賢侯と称されたが、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」の心で倒幕に賛同していたわけではなかった。明治2年に内国事務総裁を辞職し、妾を十数人も囲い酒と作詩の日々を送るが、明治5年46歳で脳溢血に倒れ亡くなった。
*西郷・勝会見地

 新政府軍の江戸城総攻撃は、慶応4年(1868)3月15日に予定されていた。その前日、3月14日、参謀西郷隆盛と徳川家陸軍総裁勝海舟の会談が、薩摩藩邸で行なわれた。薩摩藩蔵屋敷跡は現在、三菱自動車本社ビルで入口に碑が立てられ、円形の石に「江戸開城西郷南州勝海舟会見之地」と大書されている。

*薩摩藩邸跡地
 現在はNEC本社ビルの北側生け垣に藩邸跡地の石碑がある。
*西郷屋敷跡地
現在は区立日本橋幼稚園・小学校の建物の前に屋敷跡地の説明看板がある。
*吉田松陰終焉の地(伝馬町牢屋敷跡)
「安政の大獄」で刑死した吉田松陰の終焉の地碑が、小伝馬町の「伝馬町牢屋敷跡」を公園にした「十思(じっし)公園」の片隅にある。留魂録冒頭の「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとどめ置かまし大和魂 十月念五日二十一回猛士」と記した石碑がある。安政6年10月27日処刑、行年30歳。
*龍馬北辰一刀流千葉道場跡地
現在は千桜小学校も整理され「玄武館」の説明石碑が残るのみである。

※次回(第20回定例会)は
11月24日(土) 「江戸城(皇居東御苑)巡り」:
松戸駅(上野東京ライン)⇒東京駅
大手門→桜田二重櫓(巽櫓)→桔梗門→百人番所→富士見櫓→松の廊下跡→天守台→二の丸庭園→平川門→北の丸→清水門→田安門→千鳥ヶ淵→半蔵門→桜田門→二重橋→楠木正成像など

※第18回TW定例会<日本の道百選:歴史を語る「つくば道」>の実施報告はTWのページにあります。

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