1990年3月卒 竹本研 南部 俊和
服部会長とは、機械創造学科のOBによる講演会講師の関係でお会いし、それ以来、専門分野が同じということもあり、学会の講演会が開催される時期に1年に一度か二度お会いするという緩い関係が続いています。今年も学会で服部会長にお会いし、今年からOB会の会長になったんだけど、。。。。と直々に近況報告を書いてほしいという依頼を受け、文章を書くことになりました。
早いもので、大学院を卒業して25年以上もの月日が経ちました。押し入れにしまってあった古いアルバムを開けた途端、懐かしさのあまり写真に見入ってしまいました。中でも最も懐かしくもあり、私の人生のターニングポイントになったと思うのが、国際学会での発表です。
この写真は、大学院2年生の時に、アメリカのピッツバーグで開催された国際学会で発表している時の写真です。改めてみると、意外に堂々と発表しているのに少し驚きました。ただ、国内の学会で発表したことが無い状態で、いきなりの国際学会での英語のプレゼン。海外旅行をしたことも無ければ、飛行機にのるのも初めて。ピッツバーグでの学会の後は、飛行機でワシントンに飛び、その後、アムトラックでニューヨーク、ボストンと北上、マサチューセッツ工科大の恩師の竹本先生の旧友の教授を訪問するという機会までもらいました。英語もろくにできない私に、このような場を与えていただいた恩師の竹本先生には、本当に感謝していますが、当時はそんなことを考える余裕は全くなく、ただ、初めての体験を、一日一日消化するので精いっぱいだったような気がします。
10日間の海外生活で、5kgくらい痩せて帰国したのを覚えています。
海外での発表が決まってからは、英会話学校に通ったり、当時、研究室にDrコースの学生として滞在していた、イレーナさんに英語を教わったり、猛特訓をしたのが懐かしく思われます。
学会発表、そしてそれに続いてMITの教授を訪問しプレゼンをした後、私の中に、何とかやり切ったという自信の芽ができました。
この経験から、企業に入っても、研究職につきたいと強く思うようになったように思います
大学院を卒業し、軸受メーカの研究所に勤務後、自動車メーカに転職し、その自動車メーカでの研究所の勤務も20年になります。
昨年、久しぶりに仕事の関係でピッツバーグに行く機会がありました。28年前に見た、鉄鋼の街ピッツバーグは、あの時のまま輝いていました。
あの時、感じた思いを胸にこれまで頑張ってこれたような気がします。あれからたくさんのことを学びました。人生100年時代。折り返し地点を過ぎましたが、あの時の気持ちを忘れず、これからも多くのことを学び歩んでいきたいと思います。