1997年3月卒業 三輪研 前川洋子
服部会長からメッセージの依頼を受け、「まさか私が?!」と驚きながら、大学時代と卒業してからの年月を振り返ってみました。大学を卒業して20年以上が経ち、女性が中々来ないにも関わらず(!?)、私が同窓会に出席し続けるのは、自分の立ち位置を確認するためかもしれません。
「数学・英語・コンピューターはこれからの工学者に必要な道具である」(確かこんなニュアンス)。これは博論の最初の1行にしたほど、私のこれまでの歩みの原点でした。在学中に機械工学科の先生方から聞いたこの言葉に影響を受けて、技術英語の世界に踏み出すことになりました。卒業後は「まずは英語力だ!」と、綿花畑と牧場が広がり、土埃舞うテキサスへ行き、語学学校と大学院で合計2年半学びました。語学学校に通っている時は、大学院の授業をただで聴講できると聞いて、喜び勇んで機械工学の授業を受けに行ったのですが・・・。1問解くのに1週間かかる課題、英語の専門授業を聞き取ることの難しさ、課題の解き方は毎回学生がプレゼンという形式に打ちのめされつつ、アメリカの大学は卒業することが難しいこと、アメリカの大学生が日常的にプレゼンの訓練を積んでいる実態を肌で感じました。大学院の専攻は、バイリンガル教育でした。言語学という存在を知らなかったが故に微妙にずれた専攻になりましたが、アメリカの移民教育や差別問題についても学ぶ良い機会になりました。少しだけ真面目な話をすると、日本の移民政策(外国人技能実習制度)の結果として、教育現場が対峙する問題を学んだ気がします。
ミレニアム騒ぎの中帰国した私は、技術英語に関わる仕事をしたいけど、どんな仕事があるのか分からないため、機械工学科の先生方に助けを求めました。アメリカで修士を取ったばかりで経験のない私に、非常勤講師として技術英語を教えるチャンスを下さり、10年間、後輩でもある機械創造工学科の学生たちに教えることができました。あの時の私にスタートを切らせて下さったことは、先生方にとって大きなチャレンジ(賭け)だったと、感謝は言葉では言い表せません。縁あって誘われた短期大学に勤めながら、非常勤講師を続け、博士課程に入り、理系学生に必要な英語教育とは何か、理系学生を英語学習に向かわせるにはどうするかを機械創造工学科の学生たちの協力を得ながら研究しました。博士論文を書き上げるまで、教員としても研究者としても、何度も挫けながら、お世話になった先生方に励まして頂きました。
2年前に岡山に来て、理系学生への英語教育について研究を続けています。アメリカに行くこと、大学で教えること、今の研究テーマ、全ては機械工学科での学びと出会いから始まりました。4月からはキャリア支援もすることになりました。私は、学生たちの手助けをちゃんと出来るでしょうか?次の同窓会に笑顔で出席できるように、新たなスタートを切って頑張ります。
キャンパス内のミュージアムにて
遊びに来た機械工学科の友人とキャンパスにて