退任にあたって
2019年3月
大石 進
私が牧野先生(1967年度から)の後任として世田谷キャンパスの理工学部機械工学科に着任いたしましたのは,1989年4月であります.その時点で11の研究室があり,岩井先生(1992年3月退任),星先生(1995年3月退任),寺崎先生(1995年3月退任),村尾先生(1995年3月退任),三輪先生(1997年3月退任),斎田先生(2000年3月退任),富山先生(2003年4月異動),隆先生(2007年3月退任),竹本先生(2007年3月退任),岡田先生(2012年3月退任)がいらっしゃいました.
理工学部へ着任するまでの38年間,私は世田谷区で生まれ,学び,勤めてまいりましたが,正直なところ,学会で来たことがあるはずのこの青山学院大学理工学部の存在は私の頭の中から消えておりました.しかしながら,縁は異なもので,学生時代に勉強した論文のいくつかは牧野先生が機械試験所におられた頃のものでありました.
以来,30年にわたる平成の時代と重なって,その約半分を世田谷キャンパスで,残りを相模原キャンパスで仕事をさせていただきました.この間,研究室では280名ほどの学生と過ごしてきましたが,世田谷キャンパスでの研究室対抗の軟式野球やソフトボール大会を,また,私の誕生日にケーキを用意してくれたこと,クリスマスに研究室でケーキを食べたことが思い出されます.教員としての良いところは,毎年人は変わっても年齢は変わらない若者と一緒であることです.毎年,若者には負けられないという気持ちになります.
これからは,スポーツ(水泳,ボーリング),模型(ラジコングライダー),音楽(クラッシックギター)といった趣味を楽しみたいと思います.
現在の機械創造工学科は9研究室あり,関連する分野で大きくA,B,C群と呼んでいます.写真は,今年の卒業論文の最終提出が終わった2月27日にC群(渡邉研,菅原研,大石研)で行ったボーリング大会です.大変良い思い出を作っていただきました.
末筆ながら,皆様には大変お世話になりました.心より感謝申し上げます.